NPR
December 14, 2020
(前編はこちらから)
全盛期の90年代から続く2000年代は、様々な形でフッドムービーが作られつつ、90年代に一世を風靡したフッドムービーの監督たちは勢いを失い、ジャンルを代表するような新たな作品が中々に現れなかった時代であるというのが正直なところだろう。それでも、ジョン・シングルトンが引き続き、サウスセントラルを舞台にした『サウスセントラルLA』(2001年)や、正にタイトルからエリックB&ラキムの名盤を誰もが思い起こす『Paid in Full』(チャールズ・ストーン・三世監督:2002年)など、90年代のフッドムービーの精神を受け継ぐ作品が相も変わらず作られ続けた。
その中で、テレビシリーズでもフッドの現実を描写する歴史的な作品が登場する。それがHBOドラマ『ザ・ワイヤー』(2002~2008年)である。今作はボルチモアのゲトーを舞台に警察と黒人ギャングの攻防を描く作品で、ジャンルとしては警察ドラマとされている。今作の中で描かれている、ストリートギャングの現実、そして警察組織の腐敗は、2020年の今見ても真に迫る厳しさと鋭さを湛えたテーマ性である。その中で、特にシーズン1におけるギャングの下っ端に属するフッドの少年たちの物語は、従来のフッドムービー的悲劇性を持っていると言えるだろう。因みに今作には後に大ブレイクを果たす、子役時代のマイケル・B・ジョーダンも出演しており、シーズン1において彼が演じる少年の結末は、道を踏み外してしまったフッドの少年を待ち受けるショッキングな運命として、見るものの記憶に残った。
THE WIRE (2002-2008)
さらに、ラップアーティストの伝記映画が多数制作されたのにも触れておこう。エミネムの半自伝的ストーリーを映画化した『8 Mile』(カーティス・ハンソン監督:2002年)をはじめとして、50セントを題材にした『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』(ジム・シェリダン監督:2005年)、『ノートリアス・B.I.G』(ジョージ・ティルマン・Jr監督:2009年)など、それぞれのラッパーの個人的なストーリーを映画化することによって、「ヒップホップの背景」をより直接的に映した作品がいくつか出現した。これらの作品は映画自体が音楽映画の側面もあり、伝記ものでなくとも、例えば『ハッスル&フロウ』(クレイグ・ブリュワー監督:2005年)もそれらの作品と並べられるだろう。
ヒップホップアーティスト、ないしヒップホップ音楽自体を題材にした作品群は、従来のフッドムービーが描いてきた現実を、より具体的に各アーティストの個人的ストーリーとして描き、ヒップホップ音楽と直接結びつける。これらの作品の系譜は、後の『ストレイトアウタコンプトン』や『オール・アイズ・オン・ミー』(ベニー・ブーム監督:2017年)にも繋がっていく。
8 Mile (2002)
お世辞にも90年代ほどの盛り上がりを見せていたとは言えないが、確実に受け継がれていったフッドムービーのフォーマットとテーマ性は、2000年代を超えてさらなるアップデートを見せる。
その転換点といった意味で重要な作品として『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス監督:2016年)はまず挙げられる。第89回アカデミー賞で作品賞を受賞した今作が、フランク・オーシャンやケンドリック・ラマ―など現代のヒップホップアーティストたちの作品と共鳴している以上に重要なのはフッドムービーを現代の価値観のもとで捉えなおし、アップデートした画期的な作品であるという点だろう。
MOONLIGHT (2016)
マイアミが舞台の今作は、同性愛者の少年の人生がある種年代記的に綴られている。彼の少年期のドラッグとの距離感、コミュニティに蔓延り、暴力的に抑圧する男性性の描写は、従来のフッドムービーで描かれていたような、ギャングやドラッグディーラーへのレールが敷かれている型そのものだ。しかし、その中で、主人公の性の目覚め、そして男性的なロールモデルが中盤に退場する展開によって、フッドムービーで描かれていたコミュニティのレールに危険な男性性が蔓延っていたことを、改めて見るものに認識させることで、フッドの少年が育っていくコミュニティへの問いかけともなっている。こういった視点は、『ボーイズンザフッド』の時代から明らかに更新された点である。この作品の成功をはじめ、2010年代の後半は、従来のフッドムービーをアップデートした作品が次々と現れる。
ファレル・ウィリアムスがプロデュースした『DOPE!』(リック・ファミュイワ監督:2015年)はカリフォルニアのストリートを舞台とし、従来のフッドムービーとは違い、現代的なナードの高校生に焦点を当てている、かなりコミカルな作品となっていた。このエッジの効かせ方は、どちらかというとアメリカ青春コメディの名作『スーパーバッド』(グレッグ・モットーラ監督:2007年)すら思い起こさせるようなナンセンスコメディのバイブスだが、今作もポップな形であれ、従来の型を絶妙に外していくことで、現代的でライトなフッドムービーとなっている。
DOPE! (2015)
一方で、同じティーンが主人公の映画で言えば、『ヘイト・ユー・ギヴ』(ジョージ・ティルマン・Jr監督:2018年)も重要だろう。前年に発表されたヤングアダルト小説が原作の今作は、アメリカに深く蔓延る人種問題を、現代的なティーンの少女の視点で綴った作品であった。
主人公のスターは、ソランジュとスニーカーが大好きなアメリカに住むごく普通の女子高生である。そんな彼女がある夜、直面した悲劇的な事件は、この時代においても人種問題が根深く残り続けていることを突きつけ、やがて彼女が自ら抗議運動に関わっていくきっかけともなっていく。この時代においても人種問題が根深く残り続けていること、それは、現実にBLM運動が盛り上がりを見せた2020年を経験した者であれば否定しようのない事実であるだろう。黒人家庭では、親が子供に「警官に止められたらどのように対処をすればいいか」という教育を行っているという現実も、この映画で描かれているショッキングな光景の一つだ。そのことはアメリカに住む黒人の人々にとって生命にかかわってくる重大な問題なのである。
これらの徹底した描写から、今作は、ティーンを主人公にしたヤングアダルト小説の映画化という以上に、BLM運動の背景を知るのに最適な作品ともいえるだろう。さらに、かつて『シーズ・ハヴ・ガッタ・イット』でスパイク・リーが既に女性を主人公にしていたとはいえ、現代的で等身大の少女を主人公にしているというのも、かってのフッドムービーというジャンルの中ではあまり見られなかった特徴かもしれない。
こういった、現代の若者の視点でフッドを描く作品からも、『ドゥ・ザ・ライト・シング』のころから同じような分断が繰り返されている現実を我々は目の当たりにする。
THE HATE U GIVE (2018)
さらに同年制作の『ブラインド・スポッティング』(カルロス・ロペス・エストラーダ監督・2018年)という作品も紹介しておきたい。この作品もオークランドのストリートを舞台にした紛れもない現代的フッドムービーである。
同じフッドで育った黒人のコリンと白人のマイルズは幼馴染の親友。そんな2人のある3日間を描く今作は、全体的にユーモアにあふれ、それこそ『フライデイ』を思い起こさせるようなバディコメディの雰囲気も湛えている。しかし、お互いが黒人と白人であるがゆえに見ていた景色の違いがあぶりだされるようなトラブルや事件を通して、またもや観客はその分断の根深さを目撃することになる。正にフッドの日常的コメディから、現代の人種問題に新たな視点でメスを入れた、非常にクレバーな作品でもあるのだ。
BLINDSPOTTING (2018)
ここまでアップデートされてきた2010年代のフッドムービーを見てきたが、その中でも『スパイダーマン:スパイダーバース』(ボブ・ペルケッティ監督他:2018年)は、そんなフッドムービーの要素をヒーロー映画に取り入れた歴史的な作品であるだろう。
主人公のマイルスはヒップホップを聴き、エアジョーダンを履き、グラフィティを描く。身の回りは好きなものにあふれ、さらに自らの生活で抱える葛藤やもどかしさをアートを通して表現する。そんな彼の姿はポップカルチャーに囲まれた現代的な若者の姿でもあり、同時に同じ「若き表現者」として、『クーリーハイ』のプリーチ、『ワイルド・スタイル』のレイモンド、『ジュース』のQなど何人ものフッドの少年たちを思い出させる。
この映画は社会的な側面のほかにフッドムービーが描いてきたものである、将来が見えないまま理想と現実の間で葛藤する若者の姿を描き、普遍的な青春映画としてのフッドムービーの姿を改めて立ち現れさせている。そしてそんな彼を取り巻く男性のロールモデルの存在もまた興味深い。この映画において、主人公の少年に指針を与える大人は複数いる。道を外れた叔父、まじめな警官の父親、そしてスパイダーマン。『ボーイズンザフッド』のローレンス・フィッシュバーンをはじめとして、父親たちの存在もまた、フッドの若者の物語には重大な影響を及ぼす。この映画において、そんな大人たちの間で葛藤しながら、従来の型に嵌らず、正に「Best version of yourself」とでも言うように、自らで道を切り開き選択していくマイルスの姿は、旧来のフッドムービーへの現代的な批評とアンサーにすら見えた。
そもそも、「親愛なる隣人(neighborhood)」として親しまれるスパイダーマンの物語が、フッドムービーに合流したのは、もしかしたら必然ともいえるかもしれない。
SPIDER-MAN : INTO THE SPIDER-VERSE (2018)
というわけで、シカゴでポエトリーを綴る少年からブルックリンのスーパーヒーローまで、フッドムービーの歴史とその変遷を辿ってきた。これまで見てきたように、フッドムービーは世の中が少しづつ多様化していく中で、価値観やフォーマットを変化させつつ、逆にいまだに変わらないとも言える、コミュニティの問題、社会的なテーマとも向き合い続ける。そして同時に、そんな今ジャンルから自分たちも少なからず普遍的なメッセージを受け取ることも可能だ。
これらの作品は、勿論、既存の、そして現代のヒップホップ、ラップミュージックにも重なり合う。ここ数年であれば、ケンドリック・ラマ-の『good kid m.A.A.d city』が、まるでフッドムービーのようなストーリーをアルバムを通して展開していたのが、多くのリスナーにとって印象的であっただろう。これらの作品で映されてきたフッドの景色が、今後どのように変化していくのか。ヒップホップと同様に、一つの括りに収まりきらないようなこのジャンルを通して、今後も見続けていきたいと思う。
Writer : 市川タツキ
Edited by : SUBLYRICS
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