Alan Z, Jason Chu『Face Value』 | 絶妙なバランスを保つコンシャスアルバムの新たな必聴盤 / album review

August 23, 2021

2021年3月17日、ジョージア州アトランタの3つのマッサージ店で、白人男性による銃撃事件が発生した。死亡した被害者の8名のうち、6名がアジア系の女性であったことから、この事件のニュースは残忍なヘイトクライム、人種差別的殺人行為としてコロナ禍の混沌とする世界の中に広がった。後に犯人の白人男性は、人種差別的意図はなかったと供述しているが、いずれにしても、この事件を、アメリカ国内で継続的に続くヘイトクライムに関する議論から切り離すことなど不可能であった。アジア人に対する人種差別撤廃を訴えるハッシュタグ#StopAsianHate も、この事件をきっかけにさらに拡大し、大きな話題となった。

アメリカ国内におけるAsian Americanへの人種差別は、これまでも確実に存在していたはずだが、Covid 19の流行により、それが暴行や殺人事件として、可視化された状態でより加速している中での、今回の事件であった。こういった現状は、今回のことがなければ、大きな話題として取り上げられることすらなかったかもしれない。ますます可視化されているはずのAsian Americanへの差別は、見て見ぬふりをされ、ないことのように見過ごされているケースが多い。そんな状況下で、南アジア系カナダ人のシンガーNeelaは歌う。私たちは透明人間ではないと(Model Minority)

2020年、世界同時多発的にCovid19のパンデミックが発生する中で、この病原菌を指し、当時のアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプは、「チャイナウィルス」と無神経に発信する。そこで、俳優のBee Vangは語る。Asian Americanは2つのパンデミック(Covid-19と人種差別)と戦い続けなければならないと(Gran Torino)

これらをはじめとする、マイノリティたちの声を詰め込んだのが、アジア系アメリカ人ラッパー・Alan ZとJason Chuによるプロジェクト『Face Value』である。シンガー、ラッパーから役者まで、様々なAsian Americanのアーティストが参加した、コンピレーションアルバムである本作の力強い言葉とメッセージ、固有名詞の応酬に、リスナーはその関心を向けざる負えなくなる。

 

拡大するハイコンテクスト性

この作品が高い意識の元、現代のアメリカに住むアジア系としての確かな当事者性を持って作り上げられたことは明確だろう。近年で言えば、この記事の中でも名前が出されている、ケンドリック・ラマ―やラン・ザ・ジュエルの一連の作品の横に並べてもいいようなコンシャスなヒップホップアルバムとなっている。

そんな中でも、この作品の特徴は、そのハイコンテクスト性にあるといっていいだろう。それは、例えばチャイルディッシュ・ガンビーノの一連の作品の持つ、形式自体のハイコンテクスト性とは違う種類だったりする。要は歴史的背景にまつわる固有名詞が乱立されることのハイコンテクスト性だ。アルバムのジャケットには、本作で触れられる人物をはじめとする画像がコラージュされているが、その様は今回のアルバムが持つ多量な情報量を端的に示していると言えるだろう。様々な歴史的背景、人物、カルチャーが、モザイクのように集合し、散りばめられている。つまり、逆に言ってしまえば一聴した時点で誰の耳にも明らかのように「分かりやすくハイコンテクスト」なのである。

こういったタイプの情報量の詰め込みは前知識を要し、リスナーにとって親切ではないと思う人も一部にはいるかもしれない。ただ、そのことも作り手は織り込み済みらしい。このアルバム『Face Value』のオフィシャルサイトを開くと、この作品に出てくる一部の名称や人物の説明を覗けるようになっている。勿論こういったタイプの作品が、特にヒップホップにおいて今までなかったわけではないが、情報過多な本作のハイコンテクスト性は、同じ性質を持ったアート作品がフォーマットに関わらず拡大している今だからこそ成立したものにも見える。

Official Website – Face Value

 

第2次世界大戦、ヘイトクライム、Covid 19、そしてアメリカ映画

少しその内容を覗いてみよう。例えば、そう単純ではないコンテクストが乱立している様は、一曲目“Asian American Story”の歌詞から確認できる。最初のAlan Zのヴァースだけでも、アメリカ最初のセックスシンボルはアジア人であると、『戦場にかける橋』(1957)など1910年代からアメリカ映画に出演していた日本人俳優早川雪州の名前を出し、後の楽曲の重要なモチーフとなる、マルコム・Xと親交が深かった日系の公民権運動家ユリ・コウチヤマや、1960年代にアメリカの労働者組合の運動に大きな貢献をしたフィリピン系活動家Larry Itliongにも言及する。

さらに、日本人の強制収容所をはじめ、第2次世界大戦下のアジア人に対する暴力的かつ差別的な歴史も通過しながら、”They made films acting like they’re the heroes like had won”と、アメリカ映画におけるAsian Americanの歴史の描かれ方にメスを入れる。後のJason Chuのヴァースに“Shouts to every single Asian isn’t crazy or rich”と、2018年に大ヒットしたアジア系のスタッフ・キャストによるロマンティックコメディ『Crazy Rich Asian』への言及にも聞こえるラインがあるのも、「Asian Americanとハリウッド」という文脈に紐づいてのことだろう。尚、コーラスの部分はこのような歌詞となっている。

“ All we want is to be seen
Story of my life it’s a movie
Be a part of history
Like the ones that came before me
Unity is what we need
Passion of our elders live through me
Be a part of history
This a real American story ”

映画と言えば、クリント・イーストウッド監督・主演の映画『グラントリノ』に出演していた俳優のBee Vangが、スキットでこのアルバムに出演していることは大きなサプライズだったろう。映画の中でイーストウッドから愛車グラントリノを譲り受けたBee Vangが語るこのトラックの名前はその名の通り“Gran Torino”。Covid-19のパンデミック禍で拡大する、アジア人へのレイシズムを、かつてのアメリカでの日本自動車産業の盛り上がりの中で起きた白人労働者によるアジア人へのヘイトクライムの記憶と重ね、犠牲者の名前と共に告発するこの内容には、正にイーストウッドによるこの映画に出演したBee Vangが語るからこその文脈的な説得力があるだろう。また、この流れとこのアルバムのテーマから、第2次世界大戦末期の硫黄島の戦いを、アメリカ兵と日本兵の二つの視点で、イーストウッドが描いたことを思い出す人もいるかもしれない。

このアルバムにはそのほかにも“Model Minority”にハリウッドでも活躍するダンテ・バスコや最終トラック“Ronny’s Outro”にコメディアン兼役者として活躍するロニー・チェンなど、数人のアメリカで活躍するアジア系のアクターが参加している。

ここでの、いくつかのアメリカ映画のコンテクストから、アジア人の文化、歴史が、どのようにして摂取され、どのような物語として消費されてきたか、または、Asian Americanと表現の関係性とその変遷を、ハリウッドを一つの基軸として考えることにつなげることもできるだろう。

これらを踏まえて例えば、クリント・イーストウッドの一連の監督作を「白人男性、またはアメリカという国そのものの加害性」という視点で見直してみてもいいし、収録楽曲“Bruce”を聴いて、アメリカンカルチャーに(特にブラックカルチャーにも)多大な影響を与えたブルース・リーの一連のカンフープロイテーション映画を振り返ってみてもいい。または、先にも名前を出した近年のAsian American映画の象徴的ヒット作、『Crazy Rich Asian』についてもう一度批評的に考えてみることも重要だろう。勿論この聴き方は、提示されたコンテクストの一側面に過ぎない。

Netflix

 

音楽作品としての『Face Value』

一方で、ハードでシリアスなテーマ性を放つ本作の音楽性は、思いのほか風通しの良いものである。ラッパーとしてのAlan ZとJason Chuのライミングは寧ろ手堅くもあるが、ハードなラップアルバムというよりは、Alan Zのシンガーとしての性質を生かした、メロディアスで開けた空気が全体を包み込んでおり、多数のアーティストが参加している分、そのフロウの豊かさにもそそられる。

攻撃性や深い知見に長けたそれぞれの歌詞に対して、その音楽は寧ろ爽快な魅力を放つ。例えば、フィリピン系アメリカ人シンガーAJ Rafaelが歌う“Larry Itliong”の軽やかなメロディ。2分ほどの短い楽曲であることも含め、明るい曲調と身軽なフロウは、歌詞の内容と切り離した場所ですらシンプルでクールに聞こえることだろう。

または、アジア系アメリカ人の詩人Michelle Myersが語るインタールード“California Dreamin”の軽快で上質なポエトリーリーディングは、アジア系移民の現実からマスキュリニティの話にも触れる。ただそのシリアスな内容に反して、音としてのMyersの語り自体は、非常にリズミカルであり、解放感のあるトラックも相まって、耳に心地よくすら聞こえてしまう。

この作品の透き通ったようなメロディアス性は、前述したNeelaのコーラスが収められている、“Model Minority”や、韓国系のシンガーAnn Oneが参加した“Family Style”にも表れる。それぞれの曲のコーラス部分の歌では、その優しくも力強い歌い上げに、ゴスペル音楽のような神聖さすらも宿らせる。

このように、それぞれの曲の、歌詞の重量に引っ張られないような、音風景の充実した感触を得られる本作はあくまでアルバム作品としての強度と豊かさを保っているといえるだろう。歌詞の意味性の重要度が高い作品ではありつつも、サウンド的な展開やバリエーション、何よりもその「聞きやすさ」の面で決してリスナーの耳を飽きさせない。

サウンドはあくまでリスナーの意識と歌詞をつなぐ媒介でしかないという考えは、寧ろこのアルバムを前にすれば、打ち砕かれることだろう。窮屈さや閉塞感を感じさせない音楽、情報量とパンチラインの連続に、多様な文脈を敷き濃密さを醸す歌詞。音楽と言葉がお互い食い合うことなくそれぞれ一貫したコンセプトを提示し、絶妙なバランスを保っている。そんな本作を、単なる意欲作や力作ではなく、明確に傑作と評価したい。なにはともあれ、まずは38分間、ぶっ通しでこの言葉とライム、メロディを浴びてみてほしい。踏み込むのはそれからだ。

Credit

Text : 市川タツキ(IG : @tatsuki_99)(TW : @tatsuki_m99
幼い頃から、映画をはじめとする映像作品に関心を深めながら、高校時代に、音楽全般にも興味を持ち始め、特にヒップホップ音楽全般を聞くようになる。現在都内の大学に通いつつ、映画全般、ヒップホップカルチャー全般やブラックミュージックを熱心に追い続けている。

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