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September 13, 2020
90年代のヒップホップ業界では様々なことが起きていた。前期は80年代後半から続くギャングスタラップ全盛期。それまでの、レコード店の自己申告の売り上げ記録で集計されていたヒットチャートが、1991年に各店舗に導入されたサウンドスキャンのシステムにより、機械的に実際の売り上げをデータで反映しはじめ、ラップミュージックのヒットが明確になり、全米のヒットジャンルとして世間に認識されはじめた。
同時に、映画業界とも、より深く結びつき始め、『ボーイズンザフッド』のアイス・キューブ、『ジュース』の2パック、『ニュージャックシティ』のアイス・Tなど、ギャングスタラップのアーティストたちが、自らのイメージを引き受けたようなキャラクターを演じ、役者として評価を受け始める。さらに、数々の音楽雑誌メディアにより煽り立てられた結果、2パックとノートリアス・B.I.Gのビーフが、東西抗争という形を帯びはじめ、その延長線上で2パックが銃弾に倒れたのが1996年、そして同様にノートリアス・B.I.Gが銃撃され帰らぬ人となったのが1997年のことだ(本当にこの東西抗争との関係で二人が殺害されたのかどうか、今や真相は闇の中である)。
そんな時期に、まさに『ボーイズンザフッド』の舞台でもあるロサンゼルスで、青春期を過ごした役者ジョナ・ヒルが、自身の青春期のパーソナルな記憶をもとに、初監督作品として撮り上げたのが今回の映画『mid90s ミッドナインティーズ』だ。今作は、そんな彼自身も少年期に入れ込んでいた、90年代のスケートボードカルチャーの記録でもあると同時に、当時のストリートの若者に受け入れられたヒップホップカルチャーの記録としても機能する。そもそもストリートカルチャーとして、様々な形で関係しあってきたスケートボードとヒップホップのカルチャーは、特に90年代のロサンゼルスの若者文化を描くには切っても切れないものであるといえるだろう。そんな中で、今回の映画に散りばめられた90年代ヒップホップカルチャーの文脈を、今回の記事では見ていきたいと思う。
まず前述したように、今作の題材となっているスケートボードは、同じストリートカルチャーとしてヒップホップと、とても親和性が高いものとして親しまれてきた。元々カリフォルニアの白人のサーファー文化から生まれたスケートボードと、黒人文化から生まれたヒップホップとの関係性は、人種を超えたカルチャーそのものの親和性によるものであり、お互いに縛られずに影響を与え合い、ファッションとしても発展してきた。この2つの文化が交わり、発展してきたことは、正にストリートカルチャーとして理想的な関係性だといえるだろう。
その中で、ヒップホップのアーティストたちから、スケートボードのカルチャー、或いはファッションに渡り歩くものも何人もいる。例えばこの映画を見た多くの人の印象に残るだろうキャラクター・レイを演じるラッパーのナケル・スミス。彼はオッド・フューチャーのメンバーとして知られる一方で、プロのスケートボーダーでもある。最近ではSupremeやAdidasのライダーとしても活躍する彼は、主人公スティービーのあこがれの存在であるキャラクターを、持ち前のカリスマ性で見事に演じている。
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今作は彼のほかにも、主人公たちが途中に会話するホームレスの役としてデル・ザ・ファンキー・ホモサピエンも出演している。アイス・キューブのいとことしても知られる彼は、90年代のラップムーブメントの中で、所謂ギャングスタラップのスタンスとも違う、独自のスタイルを築いてきた。また彼自身もスケートボードのカルチャーに親しみ、自身のミュージックビデオなどにも、早い時期からスケートボードの要素を取り入れてきた。そんな彼と、ナケル・スミスが言葉を交わす場面は、そのシーンがドキュメンタリー的な生っぽさを醸し出しているのも相まって、スケートボードにも精通している者同士の、世代を超えたラッパーの邂逅を実現しているようにも見える。
さらに、今作の監督ジョナ・ヒルは、初監督作である今作の脚本を書くにあたって、映画監督スパイク・ジョーンズからアドバイスを受けたと様々なインタビューで言っている。スパイク・ジョーンズはチャーリー・カウフマン脚本の『マルコヴィッチの穴』やモーリス・センダック原作の絵本を映画化した『かいじゅうたちのいるところ』などの映画監督として知られる一方で、様々なアーティストのミュージックビデオを手掛けた映像作家としても知られる人物だ。特に、90年代からのビースティー・ボーイズとの蜜月は有名で、今年もApple TVにて彼らのキャリアをたどったライブドキュメンタリー『ビースティー・ボーイズ・ストーリー』を監督していたりもする。同時に彼は、1994年にプロスケーター・マイク・キャロルらと創設したスケートブランドGirlに映像クリエイターとして携わってきたことでも、スケートボードの世界では名を知られている。
このように、今作の脚本に貢献した彼もまた、90年代にスケートボードとヒップホップのカルチャーを渡り歩いた人物なのである。もっとも、90年代の青春期にスケートボードとヒップホップに浸かっていたジョナ・ヒルは当時スパイク・ジョーンズの映像作品も当たり前のように通過してきたはずであり、映像作家としても多少の影響を受けたのではないかと考えられる。このように、今作からは様々な文脈で、そういったカリフォルニアを中心とするスケートボードカルチャーとヒップホップの関係性が読み取れる。
こういった作品の文脈がある中で、作品内にストレートに流れる90年代ラップミュージックの名曲たちもまた、今回の『mid90s ミッドナインティーズ』の特徴である。例えば、90年代ギャングスタラップのムーブメントのなかでも、先にも名前が出てきたデル・ザ・ファンキー・ホモサピエンやア・トライブ・コールド・クエスト、ファーサイドなど、当時のギャングスタ的なスタイルから外れたアーティストたちの楽曲が劇中で流れる。特にファーサイドについては、正に劇中で使われる「I’m That Type Of Nigga」と「Passin’ Me By」の2曲が収録されているアルバム『Bizarre Ride Ⅱ The Pharcyde』が、ギャングスタラップが主流の当時のウェストコーストのヒップホップシーンにおいて、そのジャジーでR&Bの要素も取り入れたサウンドと、アッパーなスタンスやストリートのリアルに代表されるような所謂ギャングスタラップ的な歌詞とは一味違ったリリックで、その後のシーンに影響を与えた1枚として重要視されている。
一方で、今回の映画の中では、劇中流れる曲以外のところでも、当時のギャングスタラップを代表とするヒップホップのカルチャーを映している。その点でも極めて重要なのが、今作の主人公スティービーの兄イアンのキャラクター描写だろう。ルーカス・ヘッジスが演じるこのキャラクターは、日常的に弟を暴力によって抑え込んでおり、たびたび主人公に向かって威圧的に当たるキャラクターである。そんな彼のキャラクターはある種「有害な男らしさ」を湛えたキャラクターとしても映るかもしれない。そんな中で、ある種彼のキャラクターを表すような形として、彼がラップミュージックにはまっているらしい要素が散見される。劇中ではナズのTシャツを着て、部屋には当時ラップ音楽雑誌として代表的な存在だったソース誌が置かれ(表紙はスリック・リック)、ギャングスタ系を含むラップCDのコレクションも見られる。
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勿論、その中には、彼の部屋に、当時ギャングスタラップとはまた違った形でハードコアラップのスタイルを築いていたウータン・クランのポスターが貼られていることも見逃してはならない。さらに、この映画を見ていると、後半スティービーから投げかけられる言葉を受けて見せる鮮烈な泣き姿が顕著なように、彼の中の弱さや情けなさが垣間見える部分もあり、そういった部分を隠すように、ある種当時のヒップホップにイメージされていた「男らしさ」にあこがれを抱いているキャラクターでもあることがわかる。事実として、90年代のギャングスタラップが黒人の人々のストリートのリアルを語り、所謂サグ的なイメージが強くなっていた中で、そういったダークでバイオレントな側面、ストーリーに惹かれた白人のティーン層にまで波及していったというのも、当時のヒップホップの国内でのムーブメントが拡大した理由として大きい。
そういった意味で、その側面ばかりが前面に出てムーブメントになっていた当時のカルチャーの受容のされ方は少々閉塞的であったとも、今の時代から振り返ると言える。今作のイアンは、そういった当時のヒップホップカルチャーの受容のされかたを体現したようなキャラクターでもあるのだ。
このように、メインで消費されていたヒップホップのタイプ化されたイメージと、それでもシーンの裏では確かにあったオルタナティブな側面も含めて、当時のヒップホップカルチャーの様子を忠実に再現し取り入れ、改めて捉えなおしたのが今作だ。
90年代の若者のストリートカルチャーを16mmフィルムで全編スタンダードサイズで映し出す今回の『mid90s ミッドナインティーズ』は、当時のカルチャーに、忠実に、且つ誠実に今の視点から向き合うからこそ見えてくる風景、空気感を画面に焼き付ける。そういった意味で、今作は、まさしく2010年代に作られた「90年代カルチャーの記録映画」とも言えるかもしれない。
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Writer : 市川 タツキ
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