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David Cabrera / Complex

Pop Smoke による生前最後のインタビューを紹介
少年時代の思い出、NYのラップ・シーンの未来を語る

APRIL 17 2020

Pop Smoke(Bashar Jackson)はニューヨークで最も期待される若者の一人だった。1999年生まれ、ラップを始めて1年にも満たない19歳の若さでNYの街中でプレイされる“ Welcome to the Party ”を生み出したラッパーは、「一発屋」となることなく、“ Dior ”, “ GATTI ”, “ Shake the Room ”など立て続けにヒットを生み出し続け、間違いなく地域のスターから、世界中から注目を集める存在へと変貌していた。

シカゴ、UKを経由して生まれた「ブルックリン・ドリル」なるジャンルを勢いづけた彼が、20歳の若さで亡くなったという事実が私たちに衝撃を与えたのは約2ヶ月前だ。Complex によるインタビューは、彼の命日から2週間前、『Meet the Woo Vol. 2』のリリース直後、そのリリース・パーティを開催中に行われた。本当に惜しくも、私たちにとって彼の声を聞くことのできる(現時点で)最後の機会となってしまったわけだが、今回はそのインタビューから彼の残してくれた言葉を何点かピックアップし、紹介していこうと思う。

あなたを育ててくれた人はどなたなの?

俺はあいつらと一緒に育ってきた。(友人たちを指差して)高校の時はあいつの家によく泊まってたし、一緒にクイーンズの学校に通ってたんだ。Ace の家にも泊まってたな、Chopped Cheese を買ってさ。

 

あなたはあまり口数が多くないよね。けどAngie Martinez と仲が良いみたいだけど。

Angie は大好きだよ。彼女の動画を見て育ってきたんだ。あんまりインタビューは得意じゃないからさ。他の奴らとは違って。俺が攻撃的だとみんな言うけど、理由はわからないね。俺はそうは思わない。

昔からずっと物静かなタイプなの?

おしゃべりだったことは一度もないね。最高にクレイジーなことをしてても、それを口にはしない。だからみんな、いつ何が起きるか予想もできないはずさ。俺はシャイではないんだけど。どちらかといえば、「瞑想や吟味」に近いかもしれない。物事を俯瞰するのが好きなんだ。

 

子どもの頃の話を教えて。あなたはどんな子どもだったの?

俺はクールなガキだったよ。みんなの注目の的だった。俺を見たくて学校に来るやつもいたんだよ。俺らがいないと「クソ、あいつら来てねえのかよ、帰ろうぜ」って感じだよ。みんなを盛り上げてた。いつもそうだったな。

 

あなたは何度も転校を経験しているそうね。何があったの?

特別トラブルに巻き込まれたわけじゃない。けど俺の持つオーラが問題なのかもな。良くも悪くもね。何も言葉を発しなくても、そこにいるだけで存在を感じられるタイプの人間がこの世にはいるんだ。ニュージャージーや、フィリー(フィラデルフィア)の学校にも行ったな。

 

そこであなたが得たことは?(何をしていたの?)

プレップ・スクール、あとバスケもよくやってたな。走り回ってた。
アメリカでもトップ・レベルの学校と対戦していたよ。スポーツの道を歩もうとしていた時もあったけど、心臓の疾患で、ブレーキを踏まざるをえなかった。フロリダの*IMGで練習中、具合が悪くなって気づいたんだ。ベンチに座って、次の日に診察を受けたらドクターに「心雑音がある」と言われてね。15か16の時だった。

でも大した問題じゃなった。家に帰ってきて、今度はハスリングを始めたんだ。16歳でBeemer(BMW)を持ってたんだぜ。今クイーンズに行って、俺の実家に帰れば、今乗ってるものと同じ青いBMWが泊まってるはずだ。最初の車だよ。もう動くかわからないけどね。3年は乗ってないな。バッテリーを交換しなきゃいけないかも。
(*IMG アカデミー = 世界的な有名なアスリートのトレーニング施設)

 

Beemer に乗る時、どんな曲を聴いてたの?

NY・ドリルを聴いてたな。Sheff G、Rah Swish,、Curly Savv、Jay Gwuapo。その辺りに注目してた。けど別に学ぼうと思って聴いていたわけじゃないよ。チェックしていたけど、ラップ・ゲームの生徒になったわけじゃなかった。「こいつ絶対売れるぞ」とか「いい感じのアーティストだな」とかそんな程度だった。Fivio(Foreign)を聴いた時とかは「こいつヤバイな!」って感じだったし。彼のアドリブとオリジナルなサウンドのアイデアの源は気になったりしたけどね。

 

あなたは自分のことを「ドリル・アーティスト」だと思っている?過去に否定したことがあったよね。

ドリル・ビートってだけかな。俺がドリル・ミュージックを作っているか?と尋ねられたら、肯定派しない。ただドリル・ビートなだけだ。誰も俺みたいなビートの使い方をする奴はいなかった。他にも「Woo」を目指そうとしてるやつはいるけど、あいつらじゃ無理だな。

 

ロンドンとブルックリンの繋がりをどんな風に見てる?

ブルックリンとロンドンは同じだよ。どちらも良い面、イケてる面もあるし、超ゲットーな面もある。同じような食い物を食って、同じ飲み物を飲んでる。クール・エイドとかさ。服も似てるよな。

もしロンドン出身の俺の友達を今から紹介しても、彼がロンドン出身だとは誰も気づかないだろ。ニュージャージーのやつをロンドンに連れていけば、「ロンドン出身じゃない」と気づくかもだけど。ニューヨークとロンドンは調和してる。同じスラングも使うしさ。いとこみたいなものだよ。

 

UKのドリル・ラッパーたちは、そのリリックやビデオから警察に目をつけられてるようだけど、あなたも同じような圧力を感じたことはある?

UK出身のやつらのやってる事は良いと思うし、俺が今やっていることもまさにターゲットにされるようなことだ。今現在は特に圧力は感じないけど、見てろよ。俺は成功して、そんなくだらないことやめさせてやる。

俺はいつか映画かドキュメンタリーを出すんだ。俺についてのストーリーをね。昔住んでた場所や、よくいた場所を巡って、俺がなんで注目されたかを紹介するんだ。

警察たちがなんで、何が気に入らないかも見せるよ。みんなも警察たちと同じ感想を持つかな。俺を罰して、パフォーマンスをして欲しくないと。そうはならないと思うけどね。こんなに良い音楽があるのに、それを制御したいと思うか?みんなに聴いてほしいと思わないか?


(Complex)

彼は幼い頃、学生時代のエピソード、そしてドリル・ミュージックのシーンを語る。彼のマネージャーSteven Victor は今まさに彼の意思を継いで、ドキュメンタリーの制作を行なっていると明かしている。

あなたの新プロジェクトは『Meet the Woo』のパート2だよね。そのフレーズ「Woo 」から離れようと思ったりする?

なんで?あなたは「Woo」をどういう意味があると思ってる?「Woo」はまさに俺の着けてるジュエリーのことさ。派手さを表してる。それが「Woo」の意味。デザイナーズを着て、ジュエリーを買い占めて、派手に着飾る。家族を養って、子どもたちが良い教育を受けられるよう援助する。ギャングがどうとかの話じゃない。それが「Woo」なんだ。その言葉から離れたいと思うかい?俺は違うね。

一度それを作り上げて、始めたからには特別なものになるだろ。強く引き寄せておく必要がある。7000人の前で「Woo」と言えば、全員から大声が帰ってくる。「Woo」は普通のフッドから生まれたものだ。それがワールドワイドになったんだぜ?「Woo」を体現する人たちが世界中にいる。Woo Doctorも、Woo Teacherも、Woo Tecnician もいる。Woo Engineerもね。俺たちはどこにでもいるんだ。まるでフリーメイソンだな。

 

ニューヨークのラップ・シーンは今後どうなっていくと思う?

このドリル・ミュージックはニューヨークのサウンドだ。これが今のニューヨーク・サウンドなんだよ。俺たちはロンドンとニューヨークに橋をかけた。俺たちの共通言語、俺たちの声だ。俺たちのものなんだ。10年はこれが続くだろうね。

フルインタビューはこちらからチェックできる。

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