Juice : Movie
May 08, 2020
5月8日にラッパーの2Pac ことトゥパック・シャクール主演映画『ジュース』の国内版ソフトが初リリースされた。1992年に公開されて以来、今に至るまでカルト的人気を誇る今作は、現在のヒップホップやブラックムービーのカルチャーに多大な影響を与えている(例えば、故ジュース・ワールドのMCネームの由来はこの映画からきている)。
(Juice Movie Poster)
この記事では、そんな今作を通して、「役者」としてのトゥパックを分析していきたい。尚、今記事は映画の解説的な内容にもなっているため、所謂ネタバレを含んでいることをご承知いただきたい。決してネタバレを食らったからといって面白さが半減する映画ではないが、結末を知りたくない方は鑑賞後に読んでいただくことをお勧めする。
まず、トゥパックの話に入る前に映画『ジュース』の作品概要を追っていきたい。物語はハーレムに住む4人の少年がそれぞれの部屋で、朝目を覚ますことから始まる。Q(オマー・エップス)、ラヒーム(カリル・ケイン)、スティール(ジャーメイン・ホプキンス)、そしてビショップ(トゥパック・シャクール)の親友同士4人は、ろくに学校に行かず、日々万引きや喧嘩などに明け暮れる、不良な生活を送っていた。その中で、ある強盗事件に触発され、いたずら感覚で計画した犯罪が、彼らの運命を狂わせていく、といったストーリーだ。
監督のアーネスト・R・ディッカーソンは、ニューヨーク大学の映画学科時代にスパイク・リーと出会い、初期の学生映画から、一躍名監督へと上り詰めた傑作『ドゥ・ザ・ライト・シング』まで、初期のスパイク・リー作品で撮影監督を担当していた人物だ。この『ジュース』が、映画監督デビュー作である。実は、映画監督としてその後もホラー映画や、犯罪映画を数本作っており、中にはジャンルにかなりの振れ幅がありつつ、ブラックムービーやヒップホップカルチャーの要素が入っている作品も多い。例えば、スヌープ・ドッグが出演した『BONES』というホラー映画は、サム・ライミやジョン・カーペンターのホラー映画から影響を受けたと思われるB級のヒップホップスラッシャー映画というかなりの珍作に仕上がっている。
しかし、彼のキャリアに触れるとき、主にとりあげられるのがデビュー作の『ジュース』と撮影監督として関わった作品群であることからもわかるように、いづれの監督作品も評価と興収ともに乏しく、映画監督としてのキャリアが大成したとは、とても言えないのが事実だ(最近では映画ではなく『ハウス・オブ・カード』や『DEUCE』などのTVシリーズのエピソード監督を担当していたりもする)。
実際、意外なことに当時の『ジュース』の映画としての評価も、そこまで大絶賛で迎えられたわけではなかった。決して過小評価されたわけではないものの、例えば前年に公開されたジョン・シングルトン[i]監督『ボーイズンザフッド』に比べると、批評家からの評価はパッとしないものだったのである。例えば映画評論家ロジャー・エバートは、中盤のクラブシーンの演出を評価しつつも自身の評論サイトで4つ星中星3つの評価。ワシントンポストは、当時のほかのブラックムービーと比べた時のゲトーの描き込みや、ストーリーの勢い、シーンのリズム感などの不足を指摘している[ii]。評価集計サイトmetacriticsでの60というスコアも、映画作品としての今作が絶賛一色でなかったことを表しているだろう。
しかし今作のカルト的ともいえる人気や現在のカルチャーにつながる影響力は、映画ファンのみならず、ヒップホップファンも知っての通りだと思う。映画作品としての評価を超えてブラックムービー、フッドムービーのクラシックとして語り継がれている要因は、当時のヒップホップのカルチャーを作品全体で体現した映画であったという点に尽きるだろう。では今作が「ヒップホップ映画」である所以は何なのか。
まず、前述のストーリーを見ると、今作は、若者がイリーガルな行為に手を染めていく、青春犯罪映画の趣がある作品と思われる。確かにそういったジャンルの作品であることは間違いないが、オープニングにおける、ハーレムの街を背景に、レコードディスクのグラフィックがかぶさるタイトルクレジットから、この映画が「街と音楽」にフィーチャーした作品であることが示されるように、この映画において本当に描かれているのは、犯罪が多発している街やコミュニティでの日常を生きる少年たちの環境と現実だ。そしてそのことは「語られるものがリアルである」ことが評価軸の一つだった当時のヒップホップ的な世界観だったのである。それは、『ボーイズンザフッド』などの『ジュース』以前のブラックムービーにも通じる。
映画自体がヒップホップ的な音楽文化を取り上げていたのも勿論大きい。Too $hortやサイプレス・ヒルなど、劇中で流れるラップミュージックや、クラブDJを目指すQのキャラクターは、全体にヒップホップ文化に染まった作品であることが表面的に表れている。因みにQが参加するDJコンテストの仕切り役でクイーン・ラティファが、さらにカメオ出演でドクター・ドレ―やファブ・ファイブ・フレディが出演していたりもする。
そして勿論、なによりもこの映画で最も重要なキャラクターといってもいいビショップを演じたトゥパック・シャクールの衝撃的な演技が今作における最も大きいポイントだろう(実際この映画で最も評価された要素は彼の演技である)。前年の『ボーイズンザフッド』におけるアイス・キューブの演技や、同じく前年『ニュージャックシティ』のアイス・Tの抜擢をはじめとする、一連のラッパーの映画俳優デビューのブームの中に今作のトゥパックもいつつ、この映画による彼のブレイクと演技の評価は、そのムーブメントを決定的なものにした。そして、そこにはもちろん、彼自身のアーティスト性も深くかかわってくるのである。
トゥパック・シャクールが演技に魅入られたのは『ジュース』で映画初主演を果たすずっと前からだった。
2003年に公開されたドキュメンタリー映画『トゥパック:レザレクション』で語られている通り、子供のころからテレビに夢中だったトゥパックは、当時のシットコム番組『アーノルド坊やは人気者』のアーノルドのファッションを真似したりして、画面の中の虚構の世界にあこがれていた。その後、学生時代に演劇学校に通っていた通り、元々演技に対しての強い興味を、ラッパーになるずっと前から持っていたのだ。
1991年、映画の公開の前年となるこの年に『2Pacalypse Now』[iii]でソロアルバム・デビューを果たしたトゥパックは、同じ年にNaughty by Natureのトレッチ[iv]と共に今作『ジュース』のオーディションに参加していた。当初はQ役でオーディションを受けたものの、その後、監督からビショップ役の台本を読まされ、キャスティング。彼が演じたビショップは、キャリアの中でも、前年のデビューアルバム以上に彼の存在を世間に知らしめるきっかけとなった。
彼の演技の評価されたところ、それは、ビショップの単純に見えて複雑なキャラクター性を表現しているところにあると考えられる。親友4人で計画したコンビニ強盗で、予定外の殺人を犯してしまい、その後、ついにはメンバーの一人を撃ち殺してしまったことから、だんだんと主人公たちの脅威となっていくビショップというこのキャラクターは、一見すると単純な狂気に満ちた悪役としてとられてしまうかもしれない。しかし、彼のキャラクター性がそう言った表面的なものだけでないことは作中で示される。
彼のキャラクター性を分析するうえで重要なシーンがある。それは、主人公4人がそろって部屋で映画を見ているシーンだ。そこで見ている映画は1949年のラオール・ウォルシュ監督の『白熱』。仲間と列車強盗に成功したジェームズ・ギャグニー[v]演じる主人公が、逃亡、仲間内での裏切りなどを経て、最終的に自己破滅するまでの物語であるこの映画は、勿論その後、強盗計画を遂行する主人公たちとも重なる。そして、特にこの場面で、テレビに映るジェームズ・ギャグニーに最も興奮していたのがビショップである。『白熱』のラストで、警官隊に捕まることよりも自ら爆死することを選ぶジェームズ・ギャグニーのセリフを興奮気味に真似するこの場面のビショップを見ると、映画の中の、法律や道徳よりも自分の理念を優先するジェームズ・ギャグニーにある種のあこがれを抱いていたのが分かると思う。
実は、『ジュース』のエンディングには別バージョンが存在する。採用されている今作のラストは、屋上から落下しそうなビショップを、Qが手をつかみ引き上げようとするが、力足りず、建物の下へ落ちていってしまうというものだった。このラストが別エンディングだと、少し違ったニュアンスとなっている。ビショップの手をつかんだQは彼を必死に引き上げようとする。しかし彼は迫ってくるパトカーのサイレン音を聞き、自ら手を放し、死を選ぶのである。ビショップが自ら命を落とすこのエンディングはあまりに暗く、テスト試写での配給のパラマウント社幹部からの評判が悪かったこともあり、現在のエンディングに差し替えられている。
つまり、本来予定されていたこのエンディングでのビショップの選択は、『白熱』のラストで、警官隊に捕まる結末ではなく、自ら死を選ぶジェームズ・ギャグニーの選択と重なるはずだったのだ。こうしたエピソードから、彼がただの狂った悪漢や殺人者でなく、映画の中のギャグニーのように、あくまで彼自身の中で筋を通して行動していた人物であることがわかる。
さらに劇中で対照的に2回訪れる、ビショップが不良グループに絡まれるシークエンスの変化も、Qたちと仲間ではなくなってしまった悲哀を表情の演技一つで表している。そういった、暴力性、カリスマ性、そして時に儚い側面すら感じさせる、ビショップの多面的なキャラクター性、それをトゥパックは見事に演じきったのだ。
役者としてのトゥパックを掘り下げるうえでもう一つ紹介しておきたい作品がある。それは1993年公開のジョン・シングルトン監督『ポエティック・ジャスティス』[vi]である。この映画は『ジュース』で役者デビューを果たしたトゥパックにとって、2作目の映画主演作だった。
サウスセントラルを舞台に、悲劇的な事件によってボーイフレンドを失った過去を持つジャスティス(ジャネット・ジャクソン)と、郵便配達員ラッキー(トゥパック・シャクール)のラブストーリーである今作はシングルトン監督の前作『ボーイズンザフッド』や、トゥパック・シャクールの前作『ジュース』とは対照的な作品だった。要は、その2作に比べてそこまで強いシリアスさを『ポエティック・ジャスティス』は持ち合わせていないのだ。
勿論『ポエティック・ジャスティス』がリアルでシリアスな側面を全く獲得していないかというとそうでもない。例えば、前半ドライブインシアターで起こるジャスティスの悲劇(ちなみにこのシーンで撃ち殺されるボーイフレンドをラッパーのQティップが演じている)は、抗争や犯罪が多発していたサウスセントラルの黒人コミュニティのリアルな悲劇をしっかり映したものである。しかし、リアルで悲劇的な物語として終わらせるよりも、若者のロマンスの成就を選んだ今作のテイストは、シングルトン監督の前作『ボーイズンザフッド』を見た当時の観客が期待していたものとかけ離れたものであったことが予想される。実際ジャネット・ジャクソンによる主題歌のみがオスカーにノミネートされ、作品全体の評価は、『ボーイズンザフッド』に遠く及ばないものであった。それもある種「語られているものリアルである」という当時のヒップホップ的な評価軸が、こういった当時のブラックムービーにも反映されていたということによるとも考えられる。
確かに映画としてはシングルトン監督の『ボーイズンザフッド』に比べると、「緩い」ところがあるのは確かである。しかし、今見てみると、そもそも『ボーイズンザフッド』や『ジュース』などと向かっている方向性が違った映画であることは明確だ。「昔々、サウスセントラルで」という冒頭のテロップの通り、『ポエティック・ジャスティス』はある種現代の若者の寓話的な物語として作られている。そこから、悲劇的な物語として終わるしかなかった『ボーイズンザフッド』や『ジュース』とは違い、厳しい環境の中で、フィクションの力をもって希望的な物語を語ろうとしていることがうかがえる。これは、例えば『ジュース』におけるラストのオマー・エップスの表情のストップモーションと、『ポエティック・ジャスティス』のラストカットのジャネット・ジャクソンの表情のストップモーションの違いが、作品のスタンスを象徴しているのではないかと思う。前者はダークで、後者は希望的。『ジュース』とは対照的な『ポエティック・ジャスティス』。ゆえにトゥパックの役柄も対照的なものだった。
『ポエティック・ジャスティス』でトゥパックが演じるラッキーは、家族、友達想いの良い人間である。それは、当時ギャングスタ的なラップを発表し、『ジュース』でバッドガイのビショップを演じた彼のイメージとはかけ離れているものだった。しかし、このラッキーというキャラクターを彼は、温かいまなざしと味わい深いソフトな演技で見事に演じ切って見せた。
(MTV)
トゥパックの役者としての引き出しの多さもさることながら、『ジュース』でビショップというバッドガイを演じた後に、『ポエティック・ジャスティス』のラッキーでグッドガイの役を演じるという、作品によって違う表情を見せる彼の多面性は、ギャングスタで時には女性蔑視的な歌詞のラップをする一方で、アルバム『Me Against The World』における「Dear Mama」の母親への感謝を込めた内容のような、優しい歌詞を書くこともあるという彼のアーティストとしての人間的多面性とも重なって見えなくもない。普段からバッドガイであると同時にグッドガイの側面もあった彼だからこそできた役柄なのである。
トゥパックはその後も役者として『ハード・ブレッド / 仁義なき銃弾』でミッキー・ロークと、『グリッドロック』でティム・ロスと共演するなど、1996年に銃撃事件で亡くなるまで、役者としてのキャリアも積んでいっていた。
今やヒップホップファンにその名を知らない者はいないほどの伝説的なラッパーである2パックことトゥパック・シャクール。彼の役者としての一面を知るという意味でもこの機会に彼の出演作をチェックしてみるのはどうだろう。
[1] ジョン・シングルトン:90年代のブラックムービーやフッドムービーの歴史においてスパイク・リーと並ぶ最重要監督。アイス・キューブも出演した1991年の『ボーイズンザフッド』では、長編映画監督デビュー作にして最年少でオスカーの監督賞と脚本賞の候補にまでなった。昨年4月に急逝。51歳の若さだった。
[1] ロジャー・エバートとワシントンポストによる『ジュース』評の簡略。いずれもIMDBの作品ページから全文が読める。
[1] 『2Pacalypse Now』:フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』(“Apocalypse Now”)をタイトルの由来とするこのアルバムは、『ジュース』撮影中もリリックを書き進め制作していたという。その後の彼のアーティストとしてのイメージを決定づける「サグライフ」というイメージを掲げつつ、若くして子供を身ごもってしまった少女を歌った“Brenda‘s Got A Baby”をはじめとして、ストリートやコミュニティのリアルを綴った内容となっている。
[1] トレッチは主要キャスティングされなかったもののカメオという形で出演を果たし、Naughty by Natureも今作に楽曲を提供している。
[1] ジェームズ・ギャグニー:主に1930年代からのギャング映画やノワール映画で活躍した映画俳優。その他の主演作にウィリアム・A・ウェルマン『民衆の敵』やニコラス・レイ『追われる男』など。
[1] この映画も後のヒップホップカルチャーへ大きな影響を与えた作品で、例えばケンドリック・ラマ―の“Poetic Justice”の曲名はこの映画からとっている。
Writer : 市川 タツキ
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