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GAYLETTER( http://gayletter.com/ )はニューヨークから、クィアアート、カルチャー、ナイトライフなど様々な情報をマガジンやemailのニュースレターで配信している団体。

そんな彼らが、性的マイノリティであることを公表しているアーティスト、フランク・オーシャンのインタビュー記事 ( http://gayletter.com/frank-ocean/ )を先日、掲載していて、その内容が面白かったので、全訳して公開させて頂きます。

記事の中では、彼の「好きなテレビ番組」など私生活が垣間見えるような質問や、アーティストとして過ごしていく上で持っている、彼自身のルールといった、彼のアートに対しての考え方も見えてくる内容が詰まっていました。また、エイサップ・ロッキーとの関係についてもフランクが触れていますので、そこにも注目です!

 


FRANK OCEAN

信じるか、信じないかはあなた次第だが、いつかフランク・オーシャンとはどこかで出会うと本能で感じていた。
だからこのコラボレーションの話が来た時、どこか納得した。驚かなかったよ。それでも、緊張と興奮が混じった感情が私たちの中に渦巻いていたよ。何か特別なものを作らないと行けなかったからね。フランクは人に「ベスト」を出させるような人物なんだ。

Colier (カメラマン)がとんでもないペースで写真を撮っていたが、私たちは彼の全てを捉えたかった。理由はなんだったか、フランクがあたりを見回していた。だから俺たちも明るく親指を立てたよ。安っぽいムーブだよな。それは認めるよ。
でもインタビューの数日後、私たちは一度話したんだ、その時にすぐ気づいたよ。フランクが、舞台での洗練されたパフォーマンスの印象とは異なる印象の人だったってことをね。
彼は思慮深くて、オープンで、真面目な人だった。何年もずっと聞きたいと思っていた質問の答えを聞けて、光栄だったよ。


ヘイ、フランク。2019はどんな感じかな?

何もかもいい感じさ、順調だよ、相変わらず忙しくやってるね

 

 

最近毎日をどう過ごしてるんだい?

昔と変わらないよ。制作してる。
ここ(ニューヨーク)とLAのスタジオを行き来するのに時間を費やしてるね。どちらにも家があってさ。

 

 

他のインタビューでは聞かれないだろうことを好奇心で聞きたいんだけど、
なんでこのインタビューを受けてくれたんだい?

最近は特に活動を増やしてるからね。さらに努力してるんだ。
「俺って本当はどんな感じの人間なんだ?」って思ってさ。
あとは「俺が読んでるマガジンって何だったか」を考えたら、
あなたたちのマガジンがその一つだったって感じ。

 

 

2回目のインタビューをやってくれるのは、どうしてだい?

ずっと思ってたんだけど、前回のインタビューには思い違いがあったと思うんだ。
俺が” 穏者 “みたいなイメージなのは馬鹿げてるよ、だって俺はずっとストリートにいるって言ってもおかしくないぜ。
ずっと外にいるよ。ずっと世界中を旅してるんだ。
だからそんな風に思われてるのが可笑しいよね。
でも理解してるよ、みんなが言いたいのは、要するにまだ名前のついていない” 新しい枠組み “のことだよな。

俺のキャラクターが完璧に計算されてるものかどうかはわからないね。
でもこのカルチャーで起こっている潮流を更に意識して、自分を表現してるよ。
時間の変化と、プレスに対しての意識に関係があるとは思わないよ。
俺はフィーリングを大事にしてるから。

 

 

確かに物事は変化しているよね。
特にソーシャル・メディアに関して言えば、あなたのキャリアのスタートから比べれば爆発的に流行したし。

いや、人間は何百年も同じようなもんさ。ソーシャル・メディアも、まあ流行りみたいなもんでさ。
人々が見た情報の半分も手に入れることができていないって言う人もいるみたいだよ。
みんなが情報の上を漂ってるのさ、情報の内容をきちんと理解できているかは俺にはわからないけど。

 

 

じゃあ、ある情報について話すよ。
あなたがMSNBC(ニュース放送局)をたくさん見てるって記事で見たんだ。

まあ俺たちもYoutubeで見すぎってくらい見てるけどね。
でも何度も繰り返し同じ話を見てるとさ、何だか虚しくなってくるんだ。だから見るのをやめたよ。
まだあなたは見てる?

見てるよ。トーク・ニュースをよく見てるね。
でも「たくさん」っていうのは俺がテレビを見てる時間のことを言ってると思うんだけど、実際はそれほどでもないよ。

 

 

何かお気に入りのテレビ番組とかあるの?

最近は、『Chef’s Table』を見てるね。
シーンによっては残酷なものもあるけど。生の食材を使ったりしててさ。
でもクールだね。リアルって感じだよ。
『Handmade’s Tail』もマジで良いよ。お気に入りだね。
” Yara Shahidi (女優) “の出てる番組は好きだよ、『Grown-ish』とかさ。それも面白い作品の一つかな。

 

 

『Rupaul’s Drag Race』は見てる?

時々ね。友達がめっちゃ好きでさ。その影響もあって何話か見たよ。
ちゃんと見ないとダメなのに、話に追いつけてないね。

 

 

もし頼まれたら、作品の評価とかもやったりする?

聞かれたらこう言うよ。
「タレント・ショーとかなら出るよ」ってね。
まあそんな感じかな。

 

 

RuPaulの有名な言葉を引用するよ「私たちはみんな裸で生まれて、あとは女装みたいなもの」
君は” フランク・オーシャン “が変装した一つのペルソナだと思う?
アーティストとしての” フランク・オーシャン “とあなた自身の間に何か違いはある?

あぁ、面白いね。考えたことなかったよ。
俺にとっては、名前を変えてる理由っていうのは、プロジェクトを作るために行ってるんだ。
必要に駆られたんだよ。
それが自分にとって「鎧」になるって考えてたわけじゃなくてさ。

でも、名前だったり、見た目、サウンドが、その人の「鎧」だったり、「シールド」になってることってあるよね。
感じたくない感情の盾にするんだよ。

俺はそういうタイプではないとは思うけどね。
スマートでいたいとは思ってたよ。だからみんなの知らないようなことを、やろうとしてた。
で、上手くいったってワケさ。
俺はラップやヒップホップにとても影響を受けてる世代だから。
俺にとって、そのカルチャーに含まれるジャンルの音楽はすごく身近なものなんだよ。
だから俺がやっていることも間違ってないかなって。

 

 

あなたがインスタグラムのポストで、ロック・クライミングをやっているのを見たんだけど、スポーツの好きなところはある?

もう何年もやってるよ。別にロック・クライミングの神みたいな、そんな上級者ってワケじゃないけど。
でも楽しんでるよ。
ルートを辿っていくのは、まるで” 問題 “みたいでさ。俺は問題を解くのが好きなんだ。
ボルダリングとかはさ、ソロ・スポーツだから、人をまとめる必要がないでしょ。
クラシックなジムで過ごす1日とは違う、そんな時間が過ごせるんだ。それって超リラックスできるからさ。
もし俺がまるでAlex Hannold (ロック・クライミングのプロ選手)みたいに上手くて、人生をかけてたら、リラックスもできてないと思うし。(笑) まあ、いつも落ち着いて静かにやってるよ。

 

 

アーカイヴィストのPeter Hujarに会ったって記事で見たけど、どういう経緯があったんだい?

最初は、写真を買った時だったよ。彼の持っている写真を使って何かやりたくて。
彼が持っているアートの権利を買いたかったんだよ。

その作品を持ってるジェントルマンに連絡がついたから、彼にPeterのアーカイブの権利を持っている女性と繋げてもらった。
そしたら、全部の写真を見せてもらう機会をもらってさ、あれはマジで特別な仕事だったよ

 

ニューヨークで時間を過ごすことで、クィア・アート(性的マイノリティ・アーティストによる作品)に対する興味は大きくなった?

そうだね。12歳からニューヨークには来てるよ。オールド・タワーズ(貿易センタービル)がまだあった頃さ。ママと一緒に登ったよ。

でも、答えは少し違って、クィア・アートへの興味はホームである、ニューオリンズからずっとあったんだ。
若い頃、パーティで、Katey RedやBig Freediaを聞いていたし。
それからもう少し歳をとって、写真への興味へも広がってさ。マガジンに載ってる多くの写真を見てた。
Alasdair MclellanやCollier、あとはWofgang Tillmans、Walter PfeifferやPeterもね。
Walterの作品に特に夢中になっていたことを思い出すよ。
その時、俺はマガジン(Boys Don’t Cry)の製作をやってたから、写真のレイアウトとかに興味があってさ。

ロンドンで過ごした時間は、ただ単にマガジンのための自分の写真作品に取り掛かることだけじゃなくて、多くの写真家達と一緒に仕事をするための時間だったんだ。
その空間で仕事をすればさ、周りにはアーティストがたくさんいて、彼らはそれぞれのムーブを見せてくれるんだ。
みんながそれぞれ伝えたいメッセージのためにやってて。
そこでは、人生で一度も見たことのないものを、自分自身にインプットできるんだ。マジだよ、毎日そんな感じだった。
きっと誰でも、あそこに行けば感じるさ、確信してる。
常に「新しいアーティスト」になれるのさ。

 

 

私たちはいつも、いつか特集する対象がいなくなるんじゃないかって思ってるんだ。
でも今は毎回新しいアーティストが出演してくれている。
君にはたくさんの作品があるけど、特にマガジンの制作について教えて欲しいんだ。Boy’s Don’t Cryのことだよ。
どれくらい作り上げるのに時間がかかった?

間違いなく数年はかかったよ。本当に色々な場所で撮影したからね。
ミシシッピから中国、そしてベルリン、ニューヨーク、日本、セネガル、多くの場所でやったよ。
Ren Hang(フォトグラファー)が亡くなる前に仕事をする機会がその時にあってね。悲しいよ。彼に会うために中国に行ったね。

同時に二つのレコード(Endless, Blonde)の制作も行ってた。あとはレーベル(Def Jam)との交渉もしたりね。
アップル(Apple Musicで『Endless』は配信)との取引もしてたし。全部結局は上手く行ったね。
その何個かは、Universal(Def Jamレコードの親会社)との仕事が多くてね、永遠に時間がかかったよ。

だから本当に色々な人と、マガジンは制作したんだ。グラフィック・デザイナー、フォトグラファー、イラストレーター、アート・ディレクター、スタイリストにメイクアップ・アーティスト。そしてエージェントもね。彼らも愛してるよ。(笑)

レコード会社とのビジネス周りの話で俺は、マジで張り詰めてたんだ。
だから音楽とは関係のない、マガジンは俺の救いだったね。
契約の問題のせいで「人生が止まった感覚」がしてたけど、救ってくれた。
それのおかげで、人生がとっても満ち溢れたものみたいに感じられたよ。

 

じゃあ前に結んでいたレコード会社との契約について話すね。あのストーリーはほぼ神話化されてるようだけど。
A$AP RockyがAngie Martinezのラジオ・ショーで話していたよね。
Universal、そしてDef Jamとの義務を全うしてから、独立して『Blonde』をリリースした流れは、まるでチェスを並び替えるようだったって。
その経験について振り返るとどう思う?
ビジネス的な側面との折り合いをつけて取引を進めて行くことについて、新人のアーティストにアドバイスとかある?

今は一切怒ったりしてないよ。
俺はあの件は、自分にとってベストな結果に落ち着いたって感じてる。上手く行ったことを誇りに感じてるしね。
俺は音楽やアートを愛してるし、ここまで来れたしね。ヴィジュアル・ワークも同じだよ。
振り返るとあの頃は自分にとって愛情深い時期だったね。

あなたがロッキーの話を持ち出してくるのは面白いね。
だってあのラジオの放送後、俺は「ロッキー、俺たちあの件に関してのCliffsNotes(要点のみをまとめたノート)を見直さないといけないぜ、だってお前の言ってる話、ところどころメチャクチャだし」って感じだったよ

 

えっ本当に?


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