OCTOBER 8 , 2019
Playboi Carti (プレイボーイ・カーティ / カルティ) :
Jordan Carter (ジョーダン・カーター)
(Playboi Carti Facebook)
生まれ: 1996年9月13日 (23歳)
アメリカ / ジョージア州アトランタ・リバーデイル
プレイボーイ・カルティはアトランタ出身、現在23歳のラッパー。
その特徴的な声、独特のフロウ、端正な身なりのアーティストは、従来から言われる「ラッパー」という枠組みに単純には抑えることはできません。
「インターネットで最も忙しい音楽オタク」を自称する音楽評論家アンソニー・ファンターノに「文字通り、彼は音楽を生み出した」と言わしめるほど彼の音楽はヒップホップ・シーンに新たな風を巻き起こしています。
第3回となる連載「Rappers Dictionary」では、そんな唯一無二の存在、プレイボーイ・カルティの人生を生い立ちから現在まで紹介していこうと思います。
1. 生い立ち
2. Sir Cartier
3. 『Playboi Carti』
4. 『Die Lit』
5. 現在 〜 『Whole Lotta Red』
1996年9月13日、ヒップホップのレジェンドであり、若くしてその命を奪われた2Pacの命日に誕生したジョーダン・カーター。
17歳まで過ごすこととなるジョージア州アトランタ / リバーデイルという街に生まれ育った彼。アトランタ国際空港の南に位置する郊外の街で、都市の中心部まで車で20分ほどで着く距離だそう。
アトランタの市街の中では、それほど治安の悪い地域でもないとされているものの、私たちが当たり前に思う「治安の良さ」とは異なるベーシックがそこには存在しているはずです。
(Riverdale Town Center : Wikipedia)
リル・ウェイン、マイケル・ジャクソン、プリンス、ヤング・ジージィー、カニエ・ウエスト、カレンシーなど様々なジャンルの音楽を好んで聴いて育ったきた彼。兄に学校に送ってもらう際には、いつもグッチ・メインの曲がかかっていたそうで。
Tim Westwood のインタビューでは「ラッパーだけでなくロックスターたちにも影響を受けた」とも語り、文字通り様々なジャンルにインスピレーションを受けながら育ったことがわかります。
家族がヒップホップ・ラップのファンであることも作用し、14歳という幼い頃からラップを始めたジョーダン。
ティー・アイ(T.I.)なども通った地元リバーデイル・ハイスクールに進学し、バスケットボールに熱中。Big Boy TV によるとコーチとの喧嘩によってチームを辞めてしまったそうですが、そんな出来事を経て彼をラップの道へ突き進んでゆくことになります。
すでにラップを始めていた友人に誘われヴァースを書き始めたジョーダン。
“ Sir Cartier(サー・カルティエ)”という名前をステージネームに、友人と共にお金が貯まるごとに機材を購入、ビートにラップを乗せる毎日がこの時期から始まったそう。
2012年、16歳の時にはファースト・ミックステープとなる『Young Misfits』をリリース。
治安の悪いアトランタのストリートの当たり前に埋もれ、ドラッグ・ディールをして生きていくことも考えられたものの、彼はスーパーの店員、H&Mのショップ店員を続けながら、ラップで大金を得ることを夢見続けます。
I-D紙 にて「現実を嘆くばかりで何も行動に移さない——これまで俺がそんなタイプの人間だったことは一度もない」と語る彼は、地元アトランタでは一目置かれるプロデューサーEthereal (エタリアル) に出会った際、「普通のビートよりもユニークなものを提供して欲しい」と常に「新しいものを作る」ことに力を注いできました。そんな憧れのプロデューサーと共に” Lost “を製作。2012年、彼が17歳の時でした。
高校を卒業後、先述のEterealや、FatManKey! など大物プロデューサーにサポートを受けながら、SoundCloudに曲をドロップし続けていくと、瞬く間に人気は急上昇。” Broke Boi “がその一例になります。
“ なんで一文無しの奴らとツルまないといけねえんだ?
俺はモールでダイアモンドを買い占める、でもあいつは一文無しだから
お前ら一文無しとは遊んでられないんだ
そいつ葉っぱすら買えないんだ、だって一文無しだから “
同じタイミングで彼はその名前を” Sir Cartier “から現在の” Playboi Carti (プレイボーイカーティ/カルティ) “に変更。
Eterealが所属している” Awful Records “のメンバーにもその才能を見出され、スタジオの使用を認められるなど、多くのプロたちは彼のポテンシャルを当時から見抜いていたのでしょう。
名前をプレイボーイ・カルティに変え、SoundCloudでは既に話題の的になっていた彼でしたが、更なる躍進のためNY・ブロンクスに移住。
経緯はわからないものの、A$AP Mob(エイサップ・モブ)のメンバーA$AP Bari(エイサップ・バリ)と友人に。
また、ファッションのセンスも光る彼は様々なラッパーと繋がりを持つスタイリスト、Ian Conner(イアン・コナー)ともすぐに仲良くなるなど、見知らぬ土地ですぐに強力な人脈を持つこととなります。
こういった人を惹きつける力も彼がラップで成功したことの一つの要因とも言えるのではないでしょうか。
2015年、テキサス州オースティンで催された音楽フェス・SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演、彼が「神」とまで賞賛するラッパーA$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)と出会うことに。
Complex紙 にて
「ロッキーとハウス・パーティで出会ったんだ。クレイジーだったよ。俺の話を聞いてくれるって言うから、ここを出て、俺のスワッグを見せつけてやるって思ったね。」
と初めての出会いを語った彼は、どうインタビューでフラッコへの「憧れの感情」も覗かせます。
「家にはビッチがそこら中にいた。まさに俺が憧れていた生活がそこにはあったんだ。」
その後、ロッキーとカーティは仲を深めてゆくことになります。
2016年9月、彼はA$AP AWGEレーベルの一員となり、メジャーレーベルInterscope(インタースコープ)と契約。2012年以降まとまった作品のリリースがない彼にこういった契約の話が舞い込んでくるということは、そうそうある話ではありません。彼が数少ない曲で、いかに多くのファンを獲得しているかがよくわかる例でしょう。
2017年2月に行われたインタビューでリル・ウジ・ヴァートは
「どうやってあそこまで人気なのかマジでわからない、だって一枚もテープを出してないんだぜ?」
と驚きの声も上げています。
一方で「Yeezy Season 5」のファッションショー、ドレイクの「OVO」にモデルとして出演するなど、ファッション界でも存在感を放っていきます。
「Drop a tape – 曲を出してくれ」の声でツイッターのリプライ欄が埋め尽くされる状態が常に続くこと数ヶ月、ついに2017年4月、自身の名前『Playboi Carti』をタイトルにしたミックステープをドロップ。
リル・ウジ・ヴァート、エイサップ・ロッキーなど既に深い交流を持つ大物ゲストを招き、プロデューサーには「Yo! Pierre, You wanna come out here ?」のタグでおなじみのPierre Bourne(ピエール・ボーン)が7曲参加するなど、ファンの期待を満足させるには十分な内容が詰まっていました。
特にシングル” Magnolia “は後にダブル・プラチナムを獲得するほどのヒットとなり、彼のキャリアの中で1、2を争う代表曲に。
“ In New York, I Milly Rock, hide it in my sock
Running from an opp, and I shoot at opp (What) “「Milly Rockをニューヨークでやるぜ、靴下にソレを隠してな
(Milly Rockはラッパー2Millyによって有名になったダンス。「靴下に隠す」というラインから、カーティはこの「ミリー・ロック」をドラッグ・ディールと重ねています。” Rock “にはコカインという意味もあります)
敵から逃げてるんだ、あいつら撃ち殺してやるぜ 」
フッド、そして自国の暗い現実を伝えるラップとは異なり、「ビッチ」「ドラッグ」「ファッション」といった単調で、快楽的な内容を綴る彼は、そのスタイルで夢だった「大金を稼ぐこと」をこのミックステープで叶えたのです。
彼がまだ「アルバム」をリリースしていないことを忘れてはいけません。
2018年5月、彼についにデビュー・アルバム『Die Lit』をリリース。
ビルボード Top 200では3位を獲得、「ヒットは当然」と言わんばかりの作品はピッチフォークなどの批評サイトでも軒並み高得点を叩き出すなど、その実力を発揮します。
いわゆるマンブル・ラップ (内容がないラップのこと) で、フックも基本的には反復、もしくは非常に単調なものばかりな彼のラップが、ファンからも批評家からも評価されるのは、音楽として彼の表現方法・スタイルが認められていることの証拠です。
その特徴的な声は人を魅了する。タイラー・ザ・クリエイター『IGOR』から” Earfquake “に参加した時には、まるで「赤ちゃん」だと言われ、インターネット上ではミーム・ネタとして、この「声」が扱われています。
『Die Lit – リットに死ぬ』と名付けられたタイトルから、リル・ウジ・ヴァートのような「ロックスター」のイメージ、とりわけ「自殺」といったイメージが思い浮かぶが、この作品にはそれほどの「悲しい」イメージや、心を病んだ描写は見られません。彼はやはり女、金、ファッションを語り続けるスタイルをここでも貫いたわけです。
7月27日、ウィスコンシン州ミルウォーキーでライブを行った際に「2ヶ月以内にリリースする」と宣言されたニューアルバム『Whole Lotta Red』(本日は10月9日)。
” プレイボーイ・カーティが2ヶ月以内にニュー・アルバムをリリースすると発言 “
お分かりの通り、このセカンドアルバムはリリースが遅れている。
その理由の一つとして彼が「リーク」に悩まされていることが挙げられるだろう。
おそらくファンの方ならご存知だろうが、” Pissy Pamper / Kid Cudi “という作品がリークにも関わらず、Spotifyのバイラルチャートで1位を獲得するというアーティストにとっては嬉しくはない出来事があった。
その曲をプロデュースしたピエール・ボーンはGenius のインタビューで「最悪だ。曲が出せなくなる。」とコメント。
“ Pissy Pamper / Kid Cudi “だけではなく、リークされた作品は125にも及びます。その曲数の多さから「Top 10 Best Playboi Carti Leaks」という記事が製作されるほど。
ピエールの言うように一度リークされてしまった作品はサンプルであり、その曲を楽曲としてリリースすることは難しくなってしまうわけで、私たちファンはリークを楽しむのではなく「作品として聴けなくなってしまう」ことを避けるべきでしょう。
上記のようにアーティストとしてモチベーションという意味でも難しい出来事を受けたジョーダン。多少リリースは遅れているものの、年内にはリリースされることが期待できるはずです。
自身の「スタイル」を貫き続け、多くの若者を魅了し続ける彼はきっとこれからも「新しいものを作る」ことに全力を尽くし、また私たちを驚かせてくれることでしょう。
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