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Twitter / Instagram : Official A$AP Rocky

エイサップ・ロッキーとは

成功の裏に隠れる悲劇と、何にも屈しない「覚悟」

OCTOBER 21 , 2019

A$AP Rocky (エイサップ・ロッキー) : 
Rakim Athelaston Mayers (ラキム・アセラストン・メイアーズ)

(A$AP Rocky Instagram)

生まれ:
1988年10月3日 (31歳)

アメリカ / ニューヨーク / ハーレム

「最もスタイリッシュなラッパー」の肩書きを持ち、ラッパーとしてだけでなく、ファッションなど様々な世界でスタートして活躍するエイサップ・ロッキー。

今やAWGE (オーグ) というクリエイティブ集団の代表を務めるなど、ビジネスマンとしてもその才能を発揮し続ける彼はニューヨーク・ハーレムで数年前まで「ホームレス」だった。
なぜ彼はホームレスからスターまで、ほんの数年間で上り詰めることができたのだろうか。
第5回目となる連載「Rappers Dictionary」ではファッション・アイコンとして、アートの最先端を行くビジネスマンとして世界中の注目を浴びる、その前にフォーカスして、彼がどのように成り上がったのか、生い立ちから現在まで紹介していこうと思う。


1. 生い立ち

2. ラキムの名を背負って
3. A$AP Mobとの出会い / 『Live. Long. A$AP』
4. 最もスタイリッシュなラッパーに
5.『Live. Long. A$AP』/『At. Long. Last. A$AP』
6. アートを支配する集団AWGE /『TESTING』/ 現在まで

 

生い立ち

「大してあの頃と変わってないよ」

ロッキーはMTVのインタビューにて、少年時代を過ごしたNYハーレムでの辛い思い出を語る。

「あいつが撃たれた。あいつに子供ができた。あいつが捕まった。そんな話ばっかりだった。」

アメリカ / ニューヨーク州ハーレム、「ブラック・メッカ」とも呼ばれ、アフリカ系アメリカ人の文化が根付くこの街に、彼は1988年” ラキム・メイヤーズ “として生まれた。


(ニューヨーク州ハーレム / モーニングサイド・ドライブ、彼の兄が襲撃されたコーナー : Google Map)

1990年代、ロッキーが少年時代を過ごした当時のハーレムは、中心市街地から人口が減少するドーナツ化現象を受け、大規模な不景気に見舞われていた。当然、治安も悪化し、窃盗やドラッグ・ディールが横行していた。
写真で2019年のハーレムを見てみると「危険な地域」というイメージは湧かず、どちらかといえば綺麗に整備された街並みのように見える。しかし、現在の状態に至るまでに施された再開発の影響は、彼の過ごした少年時代にはまだ見られなかった。(2000年代に入り、再開発の影響は現れ始めた)

そんな危険な地域で過ごす少年に容赦なく悲劇は襲ってくる。
彼が12歳の時、父親エイドリアンはドラッグ・ディールへの関係を疑われ逮捕、13歳の時、兄のリッキー (リギー) はまさに上記に添えた写真のコーナーで銃殺されてしまった。

「リッキー、俺の兄さんも20歳の時、そこの角 (写真上) で撃たれて死んじまった。ママが慌てて俺に伝えてきたのを思い出すよ。MTV

父親が逮捕され、残された家族はペンシルヴァニアに一時期的に住まいを移す。結果的にハーレムに帰ったものの、収入を失っているため家賃を払うことが出来ず、ホームレスになってしまうことに。
「ホームレスから世界的スターへ」
エイサップ・ロッキーを形容する際によく用いられるこの言葉は悲劇によって生まれた。
NYの福祉制度によりシェルターに入ることができるも、非常に貧しい暮らしを送ることになった彼がストリートの世界に引き込まれてしまうのは必然だったのかもしれない。

シェルターは)プロジェクト集団住宅)の暮らしと大した違いはないよ。
でもドラッグ・ディーラーを夢見始めると、話はそう簡単じゃない。
クソみたいな環境で生まれた奴はみんな、アホみたいなものに憧れるんだ。
そういう人たちに憧れて、多くの人が自分自身の才能に制限をかけてしまう。しかも大抵の場合「誰かのために必死に稼ぐこと」ではなく、「力を手に入れたり、リッチになること」に憧れているんだ。- MTV

彼は自身の経験から当時の状況と、若者たちがドラッグ・ディーラーをアイドル視してしまう環境の愚かさを語る。これはヒップホップ・ラップのカルチャーにも言えることで、ラッパーも力を持つことや、スワッグを見せつけることが目立ちがちだが、大事なのは彼らがなぜ注目を集めようとするかである。その答え / 目的がロッキーの言う「誰かのために必死に稼ぐこと」であることが多々あるということを私たちは留意しなければいけないだろう。

彼はシェルターで過ごした高校時代を振り返り、こう語る。

「友達を家には呼べなかった。嘘をついて誤魔化してたよ。
でも今の俺があるのは、あの辛い日々のおかげだ。- Rolling Stones

ヒップホップが生まれた地ブロンクスでドラッグ・ディールを生涯続け、兄のように命を落としてしまったり、父のように逮捕されてしまうことも考えられたが、彼は結果的に一時は手を染めた危険な世界から抜け出すこととなった。彼を救ったのは「ラップ」だった。

 

 

ラキムの名を背負って

NY出身のレジェンドMCラキムの名をつけることからわかるように、彼は生まれた頃からヒップホップ・ラップを敬愛する両親の元で少年時代を過ごしてきた。(妹の名前にもErica (Rakim &” Eric B “から)とつけるほど)

ラン・DMC、ウータン・クラン、UGK、DMX、ジェイ・Z、キャムロン (ディプロマッツ)、スリー・6・マフィア、ラキムなどをお気に入りのアーティストとして挙げる彼だが、実際に「ラップをする」方法は同じくラップ・サウンドに囲まれ育った兄に教えてもらったそう。

(NOISEY)

写真をよく見ていただければわかるが、ロッキーの特徴でもあるフレンチ・ブレイズ(編み込み)は亡くなった兄がしていた髪型で、彼へのリスペクトからその髪型を受け継いでいる。
のちにクルーで仲間となるエイサップ・ファーグと同じ高校に通っていて、当時から友人だったこともあり、ラップは8歳の頃から高校在学中も続けていたそう。
ただし彼が本格的に音源の製作に打ち込み始めたのは、NYのヒップホップ・ラップ / ファッションなど様々な領域で活躍するコレクティブA$AP Mob(エイサップ・モブ)と2011年に出会ってからである。

 

 

A$AP Mob との出会い / 『Live Love A$AP』

現在のヒップホップ・ゲームの中で最も有名なクルー/コレクティブといっても過言ではないエイサップ・モブも、13年前の2006年に結成された時、そのメンバーは3人のみだった(エイサップ・ヤムズ、バリ、イルズ)
モブのリーダー的な存在であるエイサップ・ヤムズのアイデアを用い、「Always Strive And Prosper – 常に努力を怠らず、常に繁栄し続ける」の頭4文字をとったA$APを名乗り始めた。

ヤムスはA$AP Mobの結成当時の目標をこう語っている。

「俺はA$APをネクストレベルに連れて行くことにフォーカスしてる。
次世代のDef Jamのようになりたいんだ。俺はただ点を繋げる役目を果たすよ、A$APのエクゼクティブ・プロデューサーとしてね。- Complex

その後も映像・音楽・ファッションなど特定の枠組みに縛られないクリエイターたちが仲間入りしてゆくことになり、今では15人ほどの中規模なクルーを形成している。
ロッキーがこのクリエイター集団に加入するのは2011年。しかし、バリが高校の後輩だったこともあり、ヤムスもロッキーが高校に在学中から面識があったそうで、何度も買い物に出かけたり、一緒にラップをしたり、お互いに信頼関係を築いた上で加入することになった模様。

「ロッキーが売れると確信してた。- Complex

ヤムスは彼のラップを数年間に渡って聴いた上でこう語った。
彼は2011年、初めて製作したミックステープ『Live. Love. A$AP』をリリース。ヤムスの言葉通り、彼はこの処女作でRCAレコーズから3億円の契約を持ちかけられることに。2つの悲劇に苛まれ、シェルターで少年時代を過ごした彼の覚悟は既に決まっていた。

 

 

最もスタイリッシュなラッパーに

ロッキーを語る際に「ファッション」という要素は欠かせない。
デビューから現在まで彼は「最もスタイリッシュなラッパー」の名を一度も譲ったことがないようにすら思える。
ラフ・シモンズ、グッチ、リック・オウエンス、ディオール。現在では当たり前かもしれないが、ハイブランドとストリート・ファッションの組み合わせが流行したのは彼の影響が非常に強いだろう。そのイメージから多くのファッション・ブランドに広告塔として出演する彼だが、デビュー前はスキニージーンズを馬鹿にされたり、否定的な目で見られることを少なくなかった。
そんなオリジナリティ溢れる彼のスタイルに大きな影響を与えたのは12歳の時に逮捕された父親だった。

「父さんはクリーンで格好良い男だった。特に着こなしに関してはね。
彼からアドバイスをもらったんだ。今も自分に言い聞かせてる。
「自分らしくい続けて、やると決めたら全ての決断に自信を持て。」ってね。VICE

(VICE)


ファッションに限らず、あらゆる決断において自信を持つことの重要性を教わったロッキー。彼のユニークなスタイルや、そのスタイルを惜しみなくリリックに登場させるなどとにかく新しいことに挑戦する彼の姿勢は、2012年に亡くなってしまった父の影響が大きいのかもしれない。

“ Please, don’t touch my Raf
頼むよ、俺のラフに触るなよ

Bought a Kris Van Assche
クリス・ヴァン・アッシュを買ったよ

Alessandro Gucci glasses
アレッサンドロのグッチのサングラス

J.W. Anderson collab
J.Wアンダーソンのコラボもさ
(ロンドンに拠点を置くブランド。ロッキーは2016年自身のブランドAWGEとのコラボを果たしている)

Yeah, she pop it like a Mac
エイ、彼女はMACみたいにホットなんだ
(MACはサブマシンガンのこと。popは発砲という意味もありますが、pussy/assという性的な意味も)

 

 

『Long. Live. A$AP』/ 『At. Long. Last. A$AP』

グラミーでベストラップアルバムを受賞したドレイク『Take Care』のライブツアーのオープニングアクトをケンドリック・ラマーと共に務めるなど、エイサップ・モブだけではなく新たな露出の場を増やしていくロッキー。

2013年1月『Long. Live A$AP』をリリース。
待望のメジャーデビューアルバムの「新しさ」は彼のスタイリッシュな見た目や、そのリリックだけではない。プロデュースには当時ダブステップで一世を風靡していたDJスクリレックスを迎えるなど、そのサウンドにも「新しい」風をシーンに吹かせた。
ハーレムのシェルターで貧しい暮らしをしながら、ドラッグ・ディールで稼いだ金で憧れのハイブランドの洋服を買っていた青年は、洋服を買うには十分すぎるほどの大金を手にした。


「NYを代表するMC」の肩書きを手に入れ、地元ハーレムのヒーローになった彼はセカンドアルバムのリリースに向け、2015年1月シングル” Lord Pretty Flacko Jodye 2 “を先行リリース。何もかも順調だった彼とエイサップ・モブに悲劇が襲ったのはその2週間後だった。

「ヤムズはいつもドラッグとの付き合いに苦しんでる。でもそれは彼の問題だ。- NY Times」

エイサップ・モブを結成したメンバー、そしてエグゼクティブ・プロデューサーとしてアーティストをサポートしてきたエイサップ・ヤムズがオーバードーズで亡くなってしまった。ニューヨーク・タイムスのインタビューに彼はこう語る。

「彼は隠そうとしていた。何度かドラッグをやっているのを見たけど、それでも隠そうとしてるんだ。誰にも見られたくなかったみたいでさ。
ドラッグのショックでリハビリに行かなきゃならなかった彼の姿は本当に辛そうだった。1994年に2パックがスタジオを襲撃されたときみたいに、飛行機から彼は車椅子で降りてきた。あんな姿を見るのは辛かったよ。」

ヤムスが亡くなった夜、ロッキーは友人たちとブルックリンに出かけていた。

「朝3時ごろ、一緒に暮らしていたLouが異変に気づいたんだ。
仲間たちを呼んで言うんだ「ヤムスが起きない」って。ベッドには吐瀉物もあってさ。Louの顔を見て、みんなが気づいた。怖かったよ。
怒鳴りまくったよ。誰にも責任はないってわかってるのにさ。」

『At. Long. Last. A$AP』の最後のトラック” Back Home “のリリックで彼はヤムズへの想いを語る。

“ Rest in peace Yams, RIP A$AP Yamborghini
安らかに眠れヤムス、安らかに眠れエイサップ・ヤンボルギーニ
(ヤンボルギーニ = ヤムスの愛称)

We gon’ take it uptown one time
俺たちでいつかアップタウンを支配するんだ

We gon’ take em back home, show ‘em how me do 
俺たちで取り返してやるんだ、” 俺 “のやり方を見せてやる  – Back Home “


メンターを失うという出来事を経て、彼はセカンドアルバムをリリースすることに。デビューアルバム『Long. Live. A$AP』が強烈なまでに彼のスワッグを表現する作品だったとしたら、『At. Long. Last. A$AP』は悲しみと痛みの中に沈む彼の精神を表現した作品だろう。

シングル“ LSD “のサイケデリックなサウンド・MVを見ればわかるが、そこにはドラッグの中で癒しや安息を求める酩酊感が聞こえてくる。高校生から付き合う、家族同然とも言える仲間を失った「痛み」をこのアルバムには感じる。その痛みを音楽に昇華できる人はそう多くないだろう。


ヤムズの死後、彼はDJ MK のインタビューに出演し、心衰した様子を見せながらもこう語る。

「エイサップ・ロッキーも、エイサップ・モブを帰ってくる。
勿論悲しいけど、悲しまないでくれ。
俺たちは大丈夫だから。なんとかなるさ。心配しないでくれ。」

幾度となく襲ってくる悲劇を受け止め、それでも彼は歩みを止めない。
ベンツが2017年にロッキーと契約を結び、撮影・公開した「Grow Up, Get a Job」というCMで、彼が歩みを止めない理由を明かしたのを思い出す。

「若い頃は何にだってなれるんだ。自分が選びさえすればね。
でも歳をとるほど選択肢はなくなってゆく。」

「ただどんな時も、辛くても、いつも頭の中にはこのビートが鳴っていた。
でもある日…そいつがピタッと止まっちまったんだ。」

「俺の兄は死んじまった。でもそれでもビートが止まることはなかった。ビートが戻ってきて、身体中を駆け巡った。」

「兄のおかげで俺は大人になれたと思ってる。
彼がいたから、俺はリアル・ジョブを手に入れることができたんだ。
“行けよロッキー。やってやれ。ラップをかましてやれ”ってさ。」

彼の中には子供の頃から聞いていた「ビート」が常に駆け巡っていて、大きなショックから一時は鳴り止むことはあっても、血液のように再び流れ始める。
彼の生い立ちを知った上でこの映像を見ると、これがただのCM上の「セリフ」には思えない。
シェルターで過ごしてきた彼の前に現れる「現実」はきっと多くの人よりもハードだっただろう。大金を稼ぎ、同じようなことはないと思っていた矢先だったかもしれない。それでも彼はこう語っていた。

「なんとかなる。心配しないでくれ。」

簡単に想像することもできないようなハードな現実を見てきたからこそ、彼にはどんなに辛い出来事が起きても、歩み続ける「覚悟」がある。それは亡くなった家族・仲間のためでもあるのかもしれない。

「夢にはそれを叶えるための代償があります。しかし努力を重ねれば、それは達成できるのです。この物語は、心に宿るビートを頼りに自分の道を切り開き頂上を目指した、Rakimという少年の実話です。- Mercedez Benz」

 


AWGE / 『TETING』/ 現在まで

2015年5月、彼はクリエイティブ・エージェンシーAWGE(オーグ)を設立。この多才な集団は映像の製作だけでなく、レコード・レーベルとしても活動しているが、オフィシャルサイトには「AWGEの意味は絶対に明かさない」ことがルールだと記されているため、その意味合いは明確ではない。ロッキーはThe Daily Showに出演した際、AWGEについてこう語っている。

「AWGEは若きクリエイティブ集団だ。
音楽に関するアーティストから、そうじゃないアーティストまで様々なアーティストが所属してる。
俺たちはカルチャー、ミュージック、映像、アート、全ての領域で美学や方法を先導、変化させていきたい。その全てを支配したいんだ。「マスターマインド」って感じでね。そんな集団だよ。」

言葉自体の意味こそ明かさない彼だが、その目的を以上のように語ってくれた。


そんなAWGEから2018年5月リリースされたのが、彼にとって3枚目のアルバム『TESTING』だ。

“ They talkin’ down on my name, don’t let ‘em run off with the name
Man I just run with the gang, A$AP boys came with the flame
They wanna rep with the name but this ain’t no regular name “

「あいつら俺の名前を見下してやがる、俺の名前を使って逃げ回れると思うなよ。
俺はただ仲間と走り抜けるだけさ、A$AP、俺たちは炎を纏って行くんだ。
あいつら俺たちの名前を使いたがってるけど、それは普通の名前じゃねえ。」

エイサップ・モブへのロイヤルティと自信を語る” A$AP Forever “や、UKグライムMCのスケプタを迎え、スピリチュアルなものを信じるも、古くからある決まりやルールに縛られないロッキーのスタイルを体現した” Praise The Lord “などのヒットソングを生み出す一方で、フランク・オーシャンを迎えた” Purity “では大事な存在をアルバムをリリースする度に失くすトラウマを抱えていると哀しげに告白するパートも。

” Face to face with my demons at a barstool
Months past and months in between Since me and my sister would speak
Not a call or visit in weeks, lost, seen her September ’16
Lose someone every release, it feels like the curse is in me (A$AP) “

「そのバーカウンターで心の中の悪魔と出会ったんだ。
妹と喋ったあの時からもう数ヶ月経つよ。
何週間か電話したり会ったりしてなかったら、もういなくなってんたんだ。16年の9月に会ったきりでさ。
毎回アルバムをリリースするたびに誰かいなくなっちまう、まるで俺にかかった呪いみたいだ。」

3枚目のアルバムをリリース後、彼はスウェーデンにて暴行容疑で拘留されてしまうハプニングにも晒されながら次のプロジェクトに向けシングル” Babushka Boi “をリリース。

どんな悲劇が襲ってこようとも絶対に歩みを止めない彼は、今後も私たちに常にフレッシュで最先端な表現を披露し続けてくれるはずだ。その姿と作品は、私たちに常に諦めないこと新しいことを追求することの重要性をラッパーというリアル・ジョブを通じて教えてくれる。

 

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