Tyler, The Creator : Instagram
DECEMBER 26, 2019
今年5月にグラミー賞ノミネート作品である自身5枚目のスタジオ・アルバム『IGOR』をリリースしたカリフォルニア州・レイデラ・ハイツ出身のアーティストTyler, The Creator(タイラー・ザ・クリエイター)。
今となっては音楽シーンを語る上で欠かせない存在となった彼が私たちの前に現れたのは約10年前だった。
フランク・オーシャン、アール・スウェットシャツ、ヴィンス・ステイプルなどが所属していたクルーOdd Future(オッド・フューチャー)としての活動や、デビュー・ミックステープ『BASTARD』をリリースしたことをきっかけに注目を集めていったタイラー。彼にとっても特に自身のキャリアをスタートさせた『BASTARD』には特別な想いがあるようだ。
2009年12月25日にリリース、公開から10年が経った『BASTARD』について、彼はその想いをインスタグラムにて綴った。
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(Tyler, The Creator : Twitter)
“ 2009年のクリスマス、俺はファースト・アルバム『BASTARD』をZShareで46人にリリースした。計り知れないエネルギーと、リアクションを受けたいという思いがあった。
俺は18だった。この作品の収録曲は大体16か17の時作ったけどさ。
シドとトラヴィス(Taco)が家に上げてくれたんだ。その時俺の持っていたアイデアがマジで契機だったと思う。俺らが「トラップ」と呼んでいたイケてるスペースは魔法にかけられた。
『BASTARD』のビデオはその部屋で撮ったんだ。アルミホイルで歯をゴールドに見せようとしてた。映像を白黒にするつもりだったから、誰もシルバーかゴールドかなんてわからないと思ってね。” VCR “のビデオは家の地下で撮った。トラヴィスの親が階段を降りてきて、吊るし上げた人形と気持ち悪いことをしてる一番過激なパートを見られないように必死だった。
” FRENCH “のビデオはいつも俺らが溜まってたレイデラ・センターの裏路地で撮ったんだ。俺たちみんな忍び込む方法を知っていたから、Merlose通りのバートンの屋上のショットも使った。
” PIGS FLY “(俺バージョンのシャーデー・ソングを作りたかった)は家の階段で撮ったんだ。婆ちゃんが寝てたからな。
俺にはダークなユーモアがあった。だから俺の発するひどい言葉の裏側には意味があるとみんなには感じて欲しかった。(” TINA “が本気だと思ってる奴もいるけど)誰もが自由だった。不満や否定の言葉もなく、不安なことは何もなかった。「良い」音楽を作ろうともしていなかった、ただ音楽を作っていただけ。ほとんどのビートはFL Studioのデモ(無料)・バージョンで作っていて、セッション自体を保存できない状態で作ってた。
それ以外はガレージバンドに最初から入っているサウンドを使ったんだ、俺はまだ(” SEVEN、BLOW、ASSMILK “)のサウンドは今でも最高だと思ってる。
俺は昔作ったビートを聴くのが好きだし、昔やろうと試みていたことを、今では完璧にこなせるようになったと思う。
” NEW MAGIC WAND “はまさに” FRENCH “のアイデアを完璧に磨き上げた作品だよ。10年も経ったのにまだ同じアイデアにこだわり続けてるって頭おかしいけどさ。でも一度何かを完璧にすると、新たに何かに挑戦する時、最大限の注意力をもって臨めるようになるんだ。マーシャル(エミネム)の『RELAPSE』。ジェームス・パンツの” SEVEN SEALS “。ナイト・ジュエルの” GOOD EVENING “。COOL KIDSの作品全て。グリズリー・ベアーの『VECKHATIMEST』。クリプスの『HELL HATH NO FURY』。
この全てが一つになって、この作品は生まれたんだ。
その頃オッド・フューチャーはみんな密に繋がっていたから、それ以外の人と作品を一緒に作ることに対して俺は絶対にアンチだった。
収録曲の多くが世に出回っている音楽から敬遠された感情から生まれてる。(まだ言うぜ。ファック2dopeboyz!hypetrackにはシャウトアウト(感謝)を送るよ)ロサンゼルスのローカル・ミュージック・シーンから手を広げて歓迎されたことは一度もないんだ。そんなアルバムがベストな結果になって、本当に感謝してる。ほとんどのリリックはどこぞの茶色のパンツの上で書いたんだ。その頃は携帯も持っていなくて、自分で書き留めるようにしていたから、とにかく書けるものが見つかり次第何でも書きまくってた。そのメモは今度額縁にでも入れようかな。
メトロ212・439、いつも俺とジャスパーをホーソン、フェアファックス、レイデラ・センターまで乗せてくれてありがとう。
クレンショウ、ヴェニスのセブンイレブンにも感謝を送るよ。
アール、レフト・ブレイン、ホッジー、ドモ、マイク・G、ジャスパー、シド、トラヴィス。お前らにはこれからもずっと深い愛を送り続けるよ。(人殺しとかでもしない限りな)もうあれから10年だぜ!本当に素晴らしい時間だった。こんなことになるとは思ってもなかったよな。ジャスパー、そしてシドとトラヴィスの両親に送る、俺に飯をふるまってくれたり、暖かい飲み物を与えてくれてありがとう。あなたたちの思う以上にそれは俺にとって重要なことだったんだ。
イアリン、あんたはレッドのフォーカス(車種名)に乗せてくれた、そうえばあんたにこのアルバムを聴かせたことなかったな。お前臭うぜマッチョ野郎。”
16・17歳の時に製作した彼にとってのファースト・プロジェクト『BASTARD』は自由に、何にも縛られることなく彼のクリエイティビティを全て発揮した作品だ。
レコーディング、MVの撮影にThe Internet(ジ・インターネット)のシド、そしてその弟トラヴィス(タコ)の家にある機材を貸してもらうなど当時利用できた全ての環境・ツールを最大限に使い生み出したとタイラーは語る。ビートの多くをFL Studioのデモ・バージョンで作り出したというのは驚きだ。
また彼はMVをどのように撮影したかについて、10年以上同じアイデアにこだわり続け、キャリアを通じてそのアイデアを実現させてきたとも語っている。ギャングスタ・ラップの影響が色濃く残るLAのローカル・ミュージック・シーンに歓迎されずとも、自身のやりたいこと、表現したい作品を生み出したことがきっと彼の現在の成功へと繋がっている。
『BASTARD』は各ストリーミング・サービスでは配信されておらず、視聴する手段はダウンロードが主になるが、「俺の発するひどい言葉の裏側には意味があるとみんなには感じて欲しかった。」と彼が語るように、このタイミングでもう一度聴き直すと新たな発見が見つかるかもしれない。
先日彼が登場したインタビューではファースト・プロジェクトをリリースする前後のタイミングで行なった人生が変わるような大きな決断について明かしていたので、そちらも合わせて是非チェックしてみてほしい。
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